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ガンだと告げられた瞬間から、多くの人は、未来と過去が、同時に失われる予感に苦しみ始める。夢、計画、希望。地位、身分、業績、家庭。すべてが、音をたてて崩れるような・・・。だが、それ以上に苦痛なのは、心の底に巣くう、無力感である。

自らの命の危機を目のあたりにしながら、自分ではどうすることもできない。昨日まで顔も名前も知らなかった医者という赤の他人に、運命も、人生も、すべてを預けるしか能のない、自分がそこにいるのだ。

十二年前の私が、まさに、そうだった。口にこそ出さないが、心はいつも、「先生だけが頼りです」。それは、〈生の尊厳〉の、深い傷つきではなかったか。けれど、今の私は、ガンは、自分で治せるものだという確信がある。進行の度合いにも、何回目の再発であるかにも、一切関係なくだ。いや、それ以前に、自分を二度とガンにはしないという、自分自身への信頼がある。

失われた〈生の尊厳〉は、回復されたのだ。

では、どのようにして・・・?
玄米菜食との出会い。そして、〈手当て〉を知ったこと。それが、そのすべての始まりだった気がする。ライフスタイルを整え、食生活を改め、心の持ち方を変える。ガンの原因を取りのぞきつつ、〈手当て〉で、体質改善の後押しをしてきた。

そして、今、思う。
無力感の克服と、〈生の尊厳〉の回復こそ、すべてのガン患者の未来にとって、最も大切なことの一つなのだと。・・・そんな視点から、〈自助療法〉の主要な一つ、手当てについて書く。

1.貢献度を高める

自分の力で自分を治療する。自らの知恵と努力で自らを助ける。玄米菜食や手当てを、私は、自助療法と呼び、推奨している。自分の未来に対して、自らの力を役立て、貢献する。その貢献の度合いが、最も高いからである。どういうことか・・・。

例えば、風邪を、医者にかからずに自分で治した場合。貢献度は100である。しかし、ガンになると、多くは三大療法を受ける。と、患者さんは、生活習慣を改めることもなく、ただベッドで辛い治療に耐えるだけ。医者任せ。貢献度は限りなくゼロに近い。何故、こんなことが起こるのか。かつての私がそうであったように、風邪ならいざ知らず、ガンともなれば、無知な自分の力などとうてい及ばず、ひたすら医者にすがるしかないと信じているからである。

無力感は、ここから生じる。

術後15年の女性がつぶやく。
「再発したら、また〇〇先生に切ってもらう。ダメだったら、ホスピスで痛みだけでも止めてもらう。ガン患者は、一生自信が持てないですね」
彼女の楽しみは、ケーキとフランス料理。なにをか言わんやである。

では、代替療法は?
さまざまな免疫療法が大流行している。が、ただ健康食品をもらって飲むだけなら、やはり、貢献度は低い。依存の対象が、抗ガン剤から健康食品に変わっただけだからである。

治療効果がないというのでは、決してない。どんなに効果があったとしても、自信回復、尊厳の回復にはあまり役立たないと言うのだ。何故なら、それは、人からただ与えられたものだからである。人間は、自らの必死の努力で獲得したものによってしか、真の自信を得られない。生の尊厳も高まらない。

では、〈手当て〉はどうか。
ビワの葉、ショウガ、コンニャク。ものものしい現代ガン医療に比べれば、実に実に、とるに足りない身近なものを、しかも、素人である患者が自分で使う。だが、それで、医師から見放された末期ガンを自然退縮させてしまう。そして心から言う。「ガンになって、人生のすべてが輝いている」と。そこまで劇的でなくとも、月刊誌「いのちの田圃」に登場する『一歩先の人』たちも、手当てと玄米菜食で、自信を回復した。尊厳を取り戻した。笑顔が、その証拠である。

自助療法の価値、手当ての真の意味は、まさに、そこにある。

2.副作用がない

「副作用くらいなんだ、死ぬよりはいいだろう」

心ない医師たちの本音は、今もまだ、現代ガン治療の現場に生き残り、自信を喪失した患者は、無力感のなか、それにしたがっている。これこそ、生きる尊厳の否定。副作用といえば、抗ガン剤による嘔吐や脱毛を思い浮かべる人が多い。しかし、これらの副作用は、一時的なもの。

真に恐いのは、本当の副作用、つまり、免疫低下と、その結果として起こる、再発リスクの増大。つまり、治すための治療が、新たなガンを誘発してしまう危険性なのである。しかもこの問題は、1988年、アメリカ国立ガン研究所(NCI)が、レポート『ガンの病因学』で指摘して以来十数年後の今も、まったく未解決のまま。

そのことを思うとき、ガン患者にとって、副作用がないことの意味は、はかり知れないくらい大きい。そしてもちろん、手当てには、副作用がない。

3.気持ちがいい

手当てはどれもみな、やさしく体をいたわってくれるものばかり。手当てをしているまさにその時、すでに心からくつろぎ、ぐっすり寝入ってしまうこともしばしばだ。

だから、最末期でほとんど動けないような人も、安心してさまざまな手当てを試み、最後まで、希望をつなぎ続けることができる。

そしてあるとき・・・鍵穴に鍵が合うように、その人にぴったりの手当てが実現すれば、その瞬間から、末期ガンも完全治癒へと方向転換することも十分に可能なのである。

「物凄く苦しんでまで、治りたいとは思わない」
こんな声を未だに聞くことがある。しかしこの苦痛こそ、三大療法で体を痛め続けた末に、もたらされたもの。免疫低下から、さまざまな合併症に苦しむ姿に他ならない。手当ては、もちろん、こんな悲しい世界とは、まったく無縁。せっかくガンになったのだ、古の知恵、自然の親切にさまざまな思いと感謝を寄せながら、つんのめるようにして生きてきたこれまでの自分をいたわってやろう。

そんな心が免疫を一層高め、治癒への道がまた広がってくるに違いない。

4.心と体の声を聞けるようになる

自分の心と体は今、心地よさに喜んでいるのか、それとも苦しんでいるのか・・・

ガン患者の多くは、そんな当たり前のことが、分からない。興味さえ向けなくなっている。心が血を流し、体が悲鳴をあげているのに、まったく気付かないという、どうしようもない鈍感さ。それが、心に現われた『失感情症』。体に現われた『失体感症』。ガン患者はその両方を合わせ持っている。

いや、その二つの〈病い〉が極まったとき、人はガンになるのだ。だから、ガンを治すには何よりもまず、この病を治し、体と心の声を聞く能力を取り戻さねばならない。手当ては、まさにその目的に、ぴったりと合致する。

例えば・・・コンニャク湿布。タオルでくるんだコンニャクを肝臓あたりに乗せたとする。
最初は頼りなく感じられたコンニャクの熱さが、やがて、じわじわと確実に体にしみて広がっていく、その心地よさ。やがて、胃や腸のあちこちが、眠りから覚めたように動き始め、その頃はすでに足の先まで温かい。

ふと気付く。同じ時間ゆでたコンニャクを、同じ部位に当てたのに、昨日とは皮膚に感じる熱さが違う。 今日はうっかり、体を冷やしてしまったせいか。あるいは、仕事のストレスがたまっているのか・・・自分へのいたわりと、微細な感覚がよみがえってくる。そして。

「俎板の鯉の気分で、先生にすべてお任せします」

心と体を、散々ほっぽらかしにしておいて、ガンになったら、今度は他人にそれを預けてしまっていた・・・そんな、どこまでも無責任でおろかな自分にも、手当ては、気付かせてくれるのだ。

5.家族の絆が深まる

ガンは、家族の病である。家族全体になんらかの〈ひずみ〉があるとき、たまたまその中で最も弱い人間、最もその〈ひずみ〉をまともに受けてしまった人間が、発病する。だから、ガンは患者一人のものではなく、とすれば、治療にあたっても、家族全員が心を合わせることが、何よりも必要になってくる。

家族の歴史が刻まれた我が家というかけがえのない空間で、伴侶や子供たちから手当てを受けるとき、それはそのまま、何よりの癒しとなるだろう。たとえ初めはギクシャクしていた家族も、完全治癒という一つの目標を共に目指すとき、新たな絆が生まれてくる。

だから、手当ては、可能な限り、家族にしてもらおう。一人でもやるという覚悟はもちろん必要だが(できる家族がいるのに)、いつも一人でやろうとするのは、不自然だ。家族に関心がないなら、まず最初は、手伝ってほしいという気持ちを素直に伝えることから始めてみてはどうか。思いがけない協力が得られ、それが深い対話の始まりになるかもしれない。

ともかく、一人のからに閉じこもらないこと。ガンが、あなたにとって幸せへの前ぶれであるなら、それはきっと、家族全員の幸せの前ぶれともなるはずだからである。


12年前。入退院の前後数ヶ月。私は、ひたすら情報をあさり続けた。どこにいけば画期的な治療法に出会えるのか。どこかに、とびきりの名医がいるかもしれない。奇跡の特効薬は・・・? だが、探せば探すほど混乱と自信喪失は深まり、依頼心ばかりが増大した。あの頃を振り返るたび、私は切に思う。患者が真に求めているのは、実は、そんな〈とっておきの情報〉ではないはずだと。

確かに患者の多くは、ひたすら〈とびきりの治療法〉を求めている。〈まだ見ぬ特効薬〉を探している。ことに、進行ガンや、医師から見放された人の場合は、なおさらに。治らないかもしれないという不安は、大きな苦痛となっている。しかし、それにも増して苦しいのは、自らの命と運命に、自分がまったく貢献できないという無力感といらだちだろう。とすれば、真に欲しいのは、戦い続ける勇気と希望。自分の命を自らの力で救い、これからの運命と人生を新たに切り拓いていく、そんな〈生きる尊厳〉に違いない。

この人たちにこそ、手当ての持つ意義は、ますます大きくなってくる。

湯を沸かす。ショウガを擦りおろす。ビワの葉をあてがう。棒モグサに火を付ける。この小さな儀式のような一つ一つの積み重ねが、やがて、医師たちにはとうてい成しえない、末期から完全治癒に至る扉を押し開くのだ。そればかりか、体の声を聞き、心の内なる囁きに耳傾け、家族との絆も深めていく営みは、そのままウェラー・ザン・ウェル実現への最短の道となるだろう。

ガンになる以前にもまして、心身共に健康で幸せな日々。そして堂々たる尊厳に満ちた命の輝き。古から連綿として届けられてきた〈手当て〉という名の恵みは、そのためにこそ私たちの前にある。

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