
「すべては玄米から始まった」
山盛りの焼肉と、ジョッキに霜がおりそうなほど冷えたビールを、物凄い勢いで腹に収めている五人の男。その内の一人が首をかしげながら、つぶやいた。
「みんな玄米菜食だけど、玄米ってやっぱりいいんだろか・・・」言いつつ、またビールと焼肉。
「うーん、そうみたいですねえ」
何人かが一瞬、箸を止め、けれど遅れてはならじと、前にもましてビールと焼肉を流し込んでいる。
白状しよう。最初の発言者は、他ならぬ十年前のこの私である。
当時の私は、ガンになってようやく一年。NHKのディレクターとして、『人間はなぜ治るのか』というドキュメンタリーの撮影を始めたばかりであった。医師からも見放された末期ガンや再発・転移を抱えた患者さんたちが、自らの心の力で健康を回復した、その軌跡を綴るのが狙い。
ところが、撮影対象に選んだ十数人のほとんどが、期せずして、玄米菜食を実践しており、この日も、そんな一人の撮影を終えたばかりだったのである。玄米菜食という言葉自体は、私も頭に入っていた。が、馬鹿な私は、ガンになってもなお、以前と同じように、ビフテキ、トンカツ、ビーフシチューといった食事を続けていた。やめようとしてやめられなかったのではなく、ただ無知なのであった。
そんなある日、右一つだけとなった腎臓の、何かの数値(当時は興味がなかったので覚えていない)が、検査のたびに悪くなっていることが判明。すると医師は、「肉をモリモリ食べたりしない方がいいです」とポツリと言うではないか。モリモリがいけないのか、肉はそもそも、モリモリでなくともいけないのか・・・焼き肉屋での愚行は、そんな疑問が膨らみつつあった最中のこと。思い出すたび、恥ずかしさで、のたうつ思いだ。
だが、焼肉屋から数日のち、私は生まれて初めて、妻の玄米料理を食し、次のようにぼやいていた。「ワラ食べてるみたいだよ」。だがあの日から十年。私は今、玄米菜食の美味しさ豊かさを、日々、満喫している。
以下は、そんな私から、いち早く食生活を改めようとしている、十年前の私よりはるかに賢明な読者への、体験的応援歌である。
■身体の変化を見る
私の使命は、すべての患者さんがウェラー・ザン・ウェルを実現する、そのお手伝いをすることである。では、玄米菜食を続けてきた現在の私は、どうだろう。ウェラー・ザン・ウェルの言葉そのままに、ガンになる以前にも増して、心身共に健康になっているだろうか。
比較.体調は?
昔:常習的な下痢と便秘。ひどい肩凝り。真夏でも靴下をはいて寝るほどの冷え性。年に四〜五回は風邪。アレルギーと皮膚病。偏頭痛。不眠。尿タンパク。高血圧。倦怠感。大工道具入れのような大きな薬箱は、いつも売薬で満杯。
今:どの症状とも完全に無縁。快眠、快食、快便。知らず知らずスキップするほど身体は軽い。歯医者以外、用がない。当然、免疫力は、段違いに向上。
比較2.体型は?
昔:体重69kg 胸囲83cm ウエスト86cm ・・・中年太り。
今:体重57kg 胸囲98cm ウエスト73cm ・・・逆三角形。
比較3.体力は?
昔:準備運動だけで、ばてるほど。スタミナや筋力のなさは、推して知るべし。
今:120kgのバーベルを担いで、立ったり座ったりを十回繰り返すことが出来る。
「腎臓が一つだから激しいスポーツは無理」という医師の言葉に反発をしてやり始めたバドミントンの区民大会で、10時間に7試合を勝ち抜き優勝。スタミナにも何ら問題のないことを証明出来た。
以上のことを『健康のハシゴの図 』を見ながら、整理してみよう。

ガンを発病した時点での私は、最下段にいた。が、今は、間違いなく[1]から[6]の段にいる。少なくとも、未病の段階では絶対に、ない。未病とは、常に身体のどこかに不調のある、重大な病気すれすれの状態。私の場合、ガンになるまでの、二十数年間が、まさに、これに当てはまる。もし、肉食を続けていれば、「治った」とは言っても、せいぜい未病どまり。再発する可能性も高かっただろうと思う。
■玄米菜食の真の意味
玄米菜食に転換することの価値は、単に肉体的な変化にとどまらず、心やライフスタイルの変化にまで及ぶことである。
何故か・・・。
理由1.心が動く
『見えるもの』と『見えないもの』は、常に接している。だから、見えるものを動かせば、見えないものも動き、変化する。ここでは、見えるものとは玄米を指し、見えないものとは心を指す。右の図を見てほしい。
玉が三個つるされている。中央が見えるもの(玄米)、右が見えないもの(心)。そして、左が『行動』である。
さてここで、『行動』の玉を左に引っ張って放してみるとどうなるか。その力が『見えるもの』に伝わって、『見えないもの』が大きく動く。つまり、玄米を食べるという具体的な行動は、身体だけでなく、心にも作用することが分かる。ガン患者の最大の悩みは、不安や恐怖、ストレスなどの、『心』をどうコントロールするか。だが、心は目に見えず、手に触れることも出来ない。
「どうやれば、心を前向きに変えられるのか」
「どうすれば、心の転換が出来るのか」
これは、十年前の私自身の大きな悩みでもあった。しかし・・・。
下の図が示すように、解決の鍵は、玄米菜食に切り替えることにあった。
食事を改めることが、心を変え、ライフスタイルを変え、人生すべてを変えていく、その最初の一歩になったのである。
理由2.『治癒への連鎖』が起こる
ガンの原因は、互いにつながり、影響しあっている。例えば、休日もほとんど取れないようなライフスタイルでは、ストレスがたまる。それを紛らわそうと、酒を飲んだり甘いものや油濃いものを過食する。当然、体調は悪化。今度はそのことがストレスにつながり、一層、夜更かしや不規則なライフスタイルに傾斜する。これが『病気への連鎖』である。
反対に、玄米菜食を始めると、私の場合、二〜三週間で下痢や便秘はすっかり影をひそめ、毎日一回、見事な便が出るようになった。これをきっかけに、自分の健康、命、運命は、医者任せではなく、自分でコントロール出来るのだという自信が生まれた。それならと、今度は、ビワ葉温灸やコンニャク湿布などにも取り組み、定期的な運動も始め・・・すると一層、体調は向上。平行して、心はますます前向きに明るく安定してきた。それにともなって、早寝早起きが定着し、風邪もひかなくなる。善いことが善いことを呼ぶ・・・これが、『治癒への連鎖』である。
こうなればしめたもの。後は、身体と心が一緒に、『健康のハシゴ』を著実にのぼる。ウェラー・ザン・ウェル実現に限りなく近づいていくのみ。何も難しいことはない。以上のすべては、玄米から始まる。まずは食べてみることだ。
■仮想Q&A
玄米菜食は、誤解と偏見に取り囲まれている。そのため、せっかくやり始めても、ちょっとした壁にぶつかっただけで、簡単に投げ出してしまう人が意外に多い。「やっぱり、こんなもの・・・」と、やめるための絶好の言い訳にしてしまうのだ。
代表的な質問に答えてみた。
Q.美味しくない?
勉強不足の一言につきる。玄米料理の本を読むなり、料理教室に行くなりしてしっかり勉強するべし。また、玄米料理専門のレストランで食べてみるのもいい。こんな美味しいものだったのかと、目が覚める思いがするだろう。
Q.消化が悪い?
最近もある医者が、「玄米は消化が悪いので胃に良くない」という暴論を吐いていたが、これこそ誤解と偏見。かつての私は、何人もの医者から「胃弱の烙印」をおされ、消化薬と整腸剤が欠かせなかったが、玄米に切り替えてからは、嘘のようにすべてが改善された。もし本当に消化が悪いのであれば、私など真っ先に一層胃を壊したはず。また胃を全摘した人も平気で玄米を楽しんでいる。
Q.固い?
炊き方によって、いくらでも柔らかく炊ける。が、固いものをよく噛むことにも、大きな意味がある。
最低でも三十回。百回を目標に噛めば、唾液がたくさん出るが、そこには、発ガン物質を無毒化し、ガンの増殖を抑えるペルオキシターゼなどの有用な物質が含まれている。
Q.どの流派が正しい?
たくさんの種類があり、互いに矛盾していることもあるので、迷う人が多い。一例をあげれば、桜沢如一が創めたマクロビオティックとゲルソンが開発したゲルソン療法の間にも、正反対の考えがある。例えば塩。前者は積極的にとるが、後者は厳禁。野菜も、前者は煮た野菜、後者は生野菜やジュース。
何故、こんな違いがあるのか。
開発者の多くは、自分自身の病気を、自ら編み出した食事法で治した経験の持ち主。だから、マクロビオティックは桜沢の、そしてゲルソン療法はゲルソンの体質を反映している。どれが自分に合うかは実際に試してみなければ分からない。それぞれの考えをよく勉強した上で選ぶこと。どちらの方法でも、治っている人はたくさんいる。
Q.残留農薬は大丈夫か?
モミガラを除いただけの玄米には、農薬が多く残留しているのではないかという疑問がある。仮にそうであったとしても、玄米に含まれるフィチン酸は、重金属や化学物質を排泄してくれるので、体内に取り込まれる量は、白米よりも少ない。またこのフィチン酸には、活性酸素を取り除く、抗酸化作用もある。
Q.痩せるのが心配だが?
私は、最大14kgほど痩せた。もともと太りすぎの人が多いので、この程度は珍しくはない。問題は、体調や免疫機能が、かつての自分と比べて上向いているかどうか、である。
Q.どの程度まで徹底?
私は、玄米菜食には以下の二段階があると考えている。
<治療食>
ガンを治すために、徹底的にやるもの。例えば、ダシをとるにも、鰹節や煮干しは使わず、シイタケや昆布にするなど。ただし、これをあまり長期間やりすぎると、身体に変調をきたし、心が拒否反応を起こすことがある。
<健康長寿食>
一応の危機的状況を脱して後、何十年もの長きにわたって、より一層の健康を保つために続けるもの。たまには、魚も食べたりする。いつ、この段階に移行すればいいか、どの程度ゆるめるかは、病気の程度によっても異なるので、自分で判断するしかない。やはり、勉強と自己責任が大切。
玄米菜食には、これこそ人間本来の理想の食事だと実感させる美味しさと豊かさがあり、私は今、日々毎日、喜びをもってその魅力を噛みしめている。ところが、「いつまでこんな食事を続けねばならないのかと、情けなくなる」などと嘆く人もいる。
こんな人に限って、美味しく食べる勉強も、努力も、工夫もしていない。それでいて、やめる覚悟も出来ないでいるのだ。実に実に残念なことだと、その人の食卓の詫びしさを思わざるをえない。酷なようだが、心楽しまない食事では、治るものも、治りにくくなるだろう。
ましてや、人はガンを治すためだけに生きているわけでなければ、正しい食事をするために生まれてきたのでも、もちろんないからだ。
人を愛し、自分を愛し、美しいものに感動し、美味しく食べ、心地よく働き、喜び、感謝し、個性を開き・・・ガンもどんな病気も、おそらくは、そうなったときのご褒美として、治るのだと、私は思う。心ならずも、ごく一時的に、その道に逆行してしまった私や多くの患者さんにとって、玄米菜食は、そんな本来の円満な道への、小さいが確実な、初めの一歩なのである。
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