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治ったさん

治ったさん(1)治ったさん(2)治ったさん(3)治ったさん(4)

来年が、見えない?

息子が一生懸命やっていたブラスバンドの舞台に、来年は立てないかもしれないと言われた日のこと。駅まではなんとか上を向いて歩けましたが、電車に乗った途端に、人目もはばからずに泣き続けたのをおぼえています。
一時はホスピスも考えました。けれど、もともと漢方や民間療法に興味がありましたし、その数年前からケーシー療法に興味を持って、講習会に参加したりもしていましたので、主人とも相談して自分のできることをとことんやってみることにしました。

反発と信頼と

入院中から、野菜スープや生野菜を毎日届けるようにしました。でも、何かと反発する時期でしたから、食事の大切さを承知の上で、うなぎが食べたいとか、アメリカンドッグが食べたいとか、よくわがままを言いましたね。
迷いながらも、「今あの子が欲しがるものが、一番滋養があるんだ」と自分に言い聞かせ、食べさせたこともありました。
ただ、マッサージなどのお手当てだけは私でないと嫌だったみたいで、その時間のふれあいが、切れそうな親子の糸をつないでくれた気がします。

肝臓・腎臓を活性化して血液をきれいにするようなオイルマッサージを心掛けました。明示法という、祈りを込めたイメージ療法も取り入れました。神様に癒され、光り輝いていることを心の中で実感しながらマッサージするのです。小さい子だと、寝入りばなに枕元で囁いてあげるといいのですが、口に出さなくても(物理的に)離れていてもイメージの力は大きいものですよ。

もっと多くの人に役立つために

9ヶ月後に退院して自宅治療に専念し、その9ヶ月後にはガン細胞はなくなっていました。高校も5年かかって卒業するなど、息子にも試練の日々でしたが、当時の希望どおり、音楽の道に進むことができました。

オイルマッサージの資格を取るための学校へ行くように後押ししてくれたのも息子です。お陰で治療院を開くまでになりました。「自分が癒されていなかったら患者さんも癒されない」という気持ちで仕事ができるのも、息子のお陰だと思っています。

 

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百八十度、生活を変える。

「ああ、やっぱりなっちゃった」ガンを告げられた瞬間は、こんな感じかしら。
もちろんショックだったけど、心のどこかで、「今の生き方、間違ってるよ」というもう一人の自分の声が聞こえていたような気がします。

身体に良くない食べものとか、完璧な夜型とか、亡くなった夫への極端な依存心とか、一度もつれた人間関係を自分から修復できないとか。
でも、生き方が間違っててなった病気なら、その生き方を百八十度変えれば治るんだ。ある時、ふいにそう思い、そんな自分の直感を理屈抜きに信じました。
抗ガン剤治療で消耗しきっている頃から朝型の生活に一新して、朝5時から約1時間のウォーキング。マーガリンたっぷりのパンとカフェオレの朝食ともきっぱりさようなら。
良さそうな代替療法は片っ端からやってみましたが、術後1年を過ぎる頃から、身体がいやがるものには距離を置くようになりました。身体が発する声に耳を傾けられるようになったからだと思います。

間違ってなかった!

それから半年ほどたって、『ガン完全治癒の法則』のビデオを見た時、「ママと同じこと言ってるね!」って、子供たちが言うんですよ。
「そうでしょ、同じでしょ?」って自慢しちゃいましたよ。
いつの間にか、ガンを治すということよりも、心身共に健康になることに一生懸命になっていました。いろいろ調べては実践する、「自分を変える努力」が結構楽しくて。
ガンになるまであまり好きじゃなかった台所仕事も、今は一日中やってても楽しい。

ガンになっておっばいを失ったのは悲しいけれど、それを補ってあまりあるプレゼントをいっぱいもらいました。だから、もうガンは恐くないです。

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ガンがすべて消えている!?

余命3ヶ月から1年と言われてから、やがて7年になります。いつ検査しても体中にガンはあるわけだし、私ももうそれに慣れっこみたいになっていて、でも心はますます元気で、おまけの人生を満喫してました。

ところが、去年の10月です。急激に体重が減少して、腰の疼痛と貧血と原因不明の発熱で、緊急入院したんです。で、いろいろな検査を受けてもよくわからない。そんなことを続けているうちに、11月9日には、とうとう意識不明になって、緊急入院。それでもどうにか生き返って、いよいよ検査の結果を聞かされる12月5日が来まして・・・「ガンがかなり悪くなっています」と、先生は言うのだとばかり思っていたら・・・こう言うんです。
「結論から言いましょう。すべての検査の結果、ガンが消えていたよ」って。
私は、「先生、それほんとーっ?」て、言いました。そしたら先生は、「信じられないけど、そうなんだ。ガンがない。ガンが消えている、奇跡だよ。なんでだろう?」っておっしゃるんですわ。
ガンの自然退縮というやつらしいですけど、肝臓や骨髄に転移してたものも全部消えたと言う。でも、何でそうなったのか、さっぱり分かりません。
「自己免疫力が高い」ということのようですが、先生もよく説明ができないそうですわ。

全部捨てたら本当に楽に

7年前にガンだと分かった時には、先生がすぐに、「伊藤さん、入院しなくていいから」と言うんです。
私が大喜びしてたら、「伊藤さん勘違いしてないか。入院しなくていい言うのは、手術も放射線も抗ガン剤も意味がないということなんですよ」って。

当時私は、百人くらいの従業員を抱える会社を経営してまして、宣告されたその日は、ちょうど会社の幹部会がある日なんです。頭冷やさないといけないと思って、近くの公園のベンチに寝転んだら、涙がぼろぼろこぼれ出て、新聞で顔を隠しました。
結局二ヶ月後には、四十年間かけて育てた会社も整理して、自分の葬式の見積もりも取って・・・さすがに葬式の日の予約はしませんでしたが・・・ともかく公的にも私的にもぜーんぶ整理しました。そしたらほーんとに楽に、かる―くなって、その後は、先に言いましたように、ずっとおまけの人生ですわ。

ガンちゃんと共に

みんなは奇跡みたいだと言いますが、私が実践してきたことは、ありふれた基本のことだけ。玄米菜食にしただけで、健康食品もお金がかかるので使いません。民間療法も取り入れませんでした。
そんなことより、私の体のあちこちに支店を作ってる『ガンちゃん』と一緒に、ただ、快食、快眠、快便を心がけて、それから、一番大事にしたのは、「ありがとう」と感謝することだけ。今日一日は二度とこないと思って、思いきり幸せに生きています。

ガンが消えても私は両手放しで喜んでいるわけではありません。ガンが消えた=ガン患者ではなくなった、という風には考えてはいないんです。ガンは自分の身体の中の細胞が変化したものですから、また自己免疫力が落ちたりしたら、芽を出すかもしれないからです。油断大敵です。 
だから、私は今まで通りの生活を続けていきます。明るく感謝して生きていきます。

今は、ガンちゃんが教えてくれた「本当の健康」を実践し、多くのみなさんに伝えていきたいという思いでいっぱいです。

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2度のガン

最初の甲状腺ガンから、20年もたってから、今度は肺ガンと言われました。当時はそれは、本当に意外でした。というのも、ガンになるまではあんなに好きだった肉も一切やめて、ずっと玄米菜食もしていたからです。
でも、今年7月の大阪セミナーで、川竹先生から、「がんばりすぎですよ。ビルが建つくらい色んな事業を展開されて、それは森垣さんの生き甲斐になったでしょうけど、やっぱり、体には体の都合がありますから」とおっしゃられて、ハッとしましたね。勉強不足を痛感しました。

肺ガンが分かるまでの私は、検査しなくても、玄米菜食など、やるだけはやっている、15年、18年とどうもないと。私は特別なんだと思っていましたからね。過信とおごりです。

甲田式生菜食療法に賭ける 

肺に見つかったときは、三大療法を拒否して、甲田先生の生菜食療法に賭けました。でも、それは、とんでもなく大変なものでしたね。

文字通り火の通ったものは食べない。柿茶だけです、あったかいのは。あとは、すべて生。玄米の粉と生野菜のどろどろ汁500グラム、どんぶりいっぱいですね、それと大根や山芋をゴリゴリすりおろしたものなんかです。一日に全部で、980キロカロリーですから、もうそれこそ、ガリガリに痩せました。しかもその上に、断食までするんです。
ものすごい飢餓感がいつもあって、夜中に「おにぎり食べたーい」って、大声で泣き叫んだこともありました。
初めは協力的だった主人もだんだん疑心暗鬼になってしまって「ガンがもっと悪くなるぞ。殺人的な療法だ、だまされてはいかん」って。

始めて3ヶ月たったときです。いよいよ、どうにも続けられない。もうやめようと思いました。
それで甲田先生に、やめる挨拶に行こうとして電車に乗ったんですが、そうしたらとたんにひどい脂汗が出て、おなかが痛むんです。とうとう我慢できなくて、駅のトイレに駆け込むと、出るは出るは、便器が一杯になるくらい。宿便だったんですね。
そのことを先生に電話で報告しましたら、「オメデトウ」って。
それからは、出張に行っても、友達と一緒のときも、私だけは、青汁粉末や大根、長芋なんかをビニール袋に入れて持ち歩き、独りでゴリゴリ。

ガンが消えた

そんなふうにして、3年3ヶ月が経ったある日です。高熱が出たんです。原因は良く分かりません。
家族は、救急車を呼ぶとか、熱を下げなければと大騒ぎでしたけど、私は逆に、もっと熱を出してやろうとして、布団をいっぱいかぶりました。以前、熱が出た時にガン細胞が消滅すると、本で読んだことがあったからです。
熱は3、4日続いたでしょうかね。で、熱が下がって2週間くらい後に、かかりつけの病院に検査に行きました、ガンはどうなってるだろうと思って。そしたら、ガンはどこにもありませんでした。肺ガンが消えていたんです。

2度のガンを経て思うのは、たとえ最悪と思える状況でも、あとで必ずプラスになるということ。その困難があって良かったと思えるように、きっとなるということでしょう。ガンは、私の人生の最高の宝です。

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結婚してからずっと転勤族でした。25年目に東京にもどって来たのを機に、「これでやっと親孝行できる」と、「いい妻」「いい嫁」を一生懸命やったものです。自分はもちろん、家族もそれを当たり前だと思っていました。今にして思うと、それで少しずつストレスを溜め込んでいたんですね。

主人は私が元気な時は優しいのに、調子が悪いと機嫌が悪いところがありました。心配や不安の裏返しだったようにも思います。

最初の入院時、外泊許可を得て家に戻ってきた時のことですが、主人は「梅買っといたからな。今年も漬けるだろ?」って。まるで私が旅行にでも行ってきたみたいに言うんです。するとやっぱり漬けなくちゃと思ってやってしまうんですよね。

退院後も家事に手抜きはしませんでした。通院するときも義母の食事をちゃんと作ってから出かけてましたから。時には疲れきって食事も取れなかったり、流し台に食器をため込んだまま床についたこともありました。翌朝、食器が洗われていたことはないんですけど。

そんな闘病生活でしたから、9ヶ月で再発したんでしょうね。骨盤内に未分化のガン細胞が3ケ所あったので、2度目の手術では人工肛門、人工膀胱になりました。
もう3度目は、絶対に嫌だと思いましたね。ガンになった原因をつきとめようと、いろんな本を読み漁るうち、ある外科医の書いた『ガンになる人、ならない人』という本に出会いました。そこに「睡眠時間が短い、何ごとも頑張りすぎ、周囲の事ばかり考えて自分の事は二の次・・・」というくだりがあって、まさに私の事だったんです。

今が一番幸せ

それから5年かかって、少しずつ考え方を変えていきました。
無理を重ねていた時は無関心に見えた家族も、つらい時には無理をせず、体を休めるようになってからは、自然に労ってくれるようになりました。こちらが完璧を期すほど、相手の要求も高くなってたんですよね。
体力的にも精神的にもギリギリの経験をしたからこそ、人の痛みもわかるようになったし、心豊かになれたような気がします。今は、ガンになって良かったと素直に思えます。自分も周囲もずいぶん楽になりましたよ。

最近は英語とカウンセリングの勉強が面白くて、毎日が刺激に溢れています。人から相談を受けることも多くなって、誰かの役に立てると、すごく感激します。今までの人生で、今が一番幸せですね。

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第1回世界一元気ガンの患者学ワールドのビデオ


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