ガン患研ホームへ
  ここは、<ガン患者によるガン患者のための>サイト。  
  治す戦略・治る確信をつかんでください。  
ガン患研とは 私たちの思い 治す仲間 治すテキスト セミナー情報 マスコミでは お問い合わせ 講演会 メールマガジン いのちの田圃 アドバイス ホームへ      
 

治ったさん

治ったさん(1)治ったさん(2)治ったさん(3)治ったさん(4)

思い起こしてみると、一番つらかったのは、術後の痛みや抗ガン剤の副作用よりも、不安や猜疑心といった精神的苦痛だったと思います。手術の2日前まで本当のことを知らされませんでしたから。
かなりの拡大手術でした。早く仕事に復帰するために、「何日目には自分でシャンプーする」とか、自分なりにメニューを決めて頑張りました。でも、抗ガン剤治療が始まると、そんなことを考える気力さえ失せてしまうんですね。結局、術後3週間で退院し、投薬治療も3ヶ月でやめました。
その結果、「ガンと闘う」というよりも、「ガンである自分の体を受け入れて、自然の摂理に添っていく」という姿勢に方向転換できたんだと思います。

本場で気功を学ぶ

退院して、これといった当てがあった訳ではありません。幸い、夫が鍼灸の仕事をしていた関係で、体をいたわる自然な療法に関する情報は自然と集まってきました。
その一つが、術後10ヶ月目に行った中国での外気功治療です。担当医から「1年以内に再発する」と聞かされていた夫は、必ず連れて行こうと思っていたそうです。以前、視察に行った際、末期だというのに、笑顔の絶えない患者さんを大勢見てきたのが印象的だったんですね。
1ヶ月にわたって外気功治療を受けるかたわら、自分でもできる内気功を指導してもらいました。その後、指導員資格を得て、教室も開くほど。気功は今も生活の一部です。

ワクワクする食事療法

30歳の時から、自然流育児を掲げる無認可保育園の園長をしていました。認可保育園とは助成金に格差があって、経営は苦しいんですが、理想の保育を追求できるという面では、恵まれているかもしれません。保育師も保護者も私の方針に共感して集まってくれた方々ですから。
ガンを発病したのは、ちょうど園の十周年を迎えたときでした。その記念行事の一環で、ある小児科医に共感して、「安全給食」というのを始めたんです。動物性たんぱくを使わない、無添加・無農薬の食材で、一物全体をいただくというものです。術後2ヶ月目のことでした。
お肉も卵もない給食に、子供たちも最初はとまどっていましたが、すぐに、野菜の本当の美味しさがわかるようになりました。体格はそんなに大きくないんですが、フワフワしてない、弾力のあるしっかりした体なんですよ。
私にとっての食事療法は、子供たちの健やかな成長をこの目で確かめながらの、本当に心弾む体験でした。子供たちのために始めたことが、自分の病気治しにもつながったんですね。
子供と一緒に、毎日楽しく笑って過ごす。そんな環境も良かったんだと思います。

ストレスにさようなら

保育園の経営に、気功の教室。自分の時間はどこにあるのかとよく聞かれます。でも地位や名誉のためではなく、本当にやりたいことだけをやっているので、ストレスとは無縁になってきましたね。
ガンを受け入れて、共生していこうというのは、私が保育の仕事でずっと考えてきたことにつながるような気がします。自然の摂理に逆らわないこと、人にも自分にもやさしい気持ちで接することに。
3年目からは検査もしていませんが、Oリングテストではずっとマイナスです。多少の不調なら、温灸や食事でコントロールできるようになりました。何よりこの16年、ガンになる前よりもっと楽しく元気に仕事を続けて来られたんですもの。
ガンは死に至る病ととらえられていますが、自分や周囲への「気づき」を促す神様からのプレゼントだったと思います。治った多くの方が、そう思われているんじゃないでしょうか。

 

▲上に戻る

7年前、縦隔部に7センチ×4センチの腫瘍が見つかりました。医師からは手術、抗ガン剤、放射線のフルセットを勧められましたが、5年生存率は実に6〜7%。それでも、手術をすれば非常に良い結果が出ることもあるからとのこと。
他の病院の先生方にも相談しました。やはり手術は侵襲が大きいし、リスクに見合うだけの成功率も無さそうです。 結局、三大療法の中では比較的ダメージの少なそうな放射線治療だけを受けることに。7週間の予定でしたが、途中で喉の痛みが出てきたので、三週間で中止しました。

自分に合う治療法を見つけるために

ガンがわかってから3ヶ月目に、余命半年との宣告がありました。どうやら西洋医学には頼れないというのが現実のようです。
家内と二人で勉強を始めました。知人から教えてもらったものも含め、20数種類の民間療法の中から、これはと思う7種類ほどを実行に移していきました。2〜3ヶ月やってみて効果がなかったら次の7種類。それでもだめなら、さらに残りの7種類を試してみようと。
幸いなことに、最初に実行に移したもので効果が出始め、それを続けていくことで、完治にもっていけるかもしれないという手応えを感じました。
当初は家内が一生懸命だから、それに応えないと、という気持ちがあったのは事実ですが、食事療法に関しては、下痢がなくなるなど、体質改善につながっていることははっきり自覚できました。

最初に腫瘍が縮小しているのがわかった時、医師は放射線が効いたとの判断でした。そうだとすれば、中止したからにはまた大きくなってくるはず。民間療法が効いたのなら、次の検査でも引き続き小さくなってくるはずだと思うと、経過を追うのが楽しみになってきました。

ガンであることをオープンに

有益な情報が次々に入ってきたのも、ガンであることを隠さなかったからだと思っています。職場にはもちろん、学生時代の同窓会などでも、現状を皆に話しました。
仕事の面では、通勤時間もストレスも格段に軽減される仕事に移ることができました。
富士登山を誘ってくれた同期の友人もいます。もしも病状が悪化すれば、責任を問われることも覚悟しての誘いでした。
結局、台風の通過で、富士登山は延期となりましたが、その友人たちと30年ぶりに登山らしい登山に参加しました。2330メートルの瑞牆山の頂上に無事立った瞬間の感動は、今でもありありと甦ります。きつかったのは事実ですが、目標に向かって進む精神力が鍛えられた気がします。たっぷりと森林浴ができたのも、大いに自己治癒力アップにつながったでしょう。

それから4ヶ月、平成9年12月のX線CTの結果、腫瘍は完全に消失していました。
以後、半年ごとに検査を受けていますが、再発の兆候は全くありません。自分の体験が少しでも参考になればと、ホームページを開設し、念願の富士山初登頂を果たしました。
新しく授かった命を大切に、そして大いに楽しみたいと思っています。

▲上に戻る

余命6ヵ月との宣告を受けた時、「6ヵ月後に死を迎えますよ」というよりも、むしろ「6ヵ月は生きられますよ」というように、前向きに解釈しました。

いいと思われるものは何でも

今まで勉強してきた漢方薬の免疫療法をはじめ、いいと思われるものは何でもやってみようと考え、行動に移しました。
食事療法や気功、半身浴、生き甲斐療法などがそうです。
インフォームド・コンセントの必要性が言われますが、本当に必要なのは、治療法を患者自身が選ぶインフォームド・チョイスだと思います。
私の場合は、仕事柄、条件が整っていたことで、医師の了解が得やすかったようです。手術の前から、血液浄化や免疫力の活性化、細胞賦活のための健康食品を飲み始めました。
食事療法については、料理教室に通って、食材や調味料を吟味し、独自の療法を実践しています。ウォーキングと同じ効果があるという半身浴は、朝晩30分。身も心もすっきりします。
生き甲斐療法の基本は、一、自分が自分の主治医のつもりで。二、今日一日の生きる目標に打ち込む。三、人のためになることを実践する。四、死の不安、恐怖と共存する訓練などです。

全てを一新

ガンになった原因は、つきつめれば、強いストレスと食事の乱れだと思います。だとすれば、ガンを治すためには食事はもちろん、すべてを一新する必要がある。結婚生活も含めて、それまでのすべての人間関係を整理しました。
闘病も独りでしたが、自分にとって必要な人間関係もどんどん出来てきたんです。新しい人生の門出ですよね。

今が一番幸せ

ガンになって、本当に良かったと思っています。
ガンになったことで謙虚な心を持つことの大切さを知り、他人にやさしくなりました。そうするとまた、自分にもやさしくしてくれる人がたくさん現れるのです。
これまでの人生の中で、今が一番幸せだと言えます。

▲上に戻る

何でも一人でしょい込んで、あっぷあっぷしてるくせにいい顔をしてしまう。八方美人の八方ふさがりで、思いと行動がバラバラだったように思います、ガンになる前は。私にとって、ガンは天からのおたよりをいただいたようなものですね。
抗ガン剤は2ヵ月たらずで、ホルモン療法も2年半で、副作用のことを考えて止めました。

取り続けることから手放す方向に

代替療法を始めて2年間は、よいと思われるものは何でも勉強し、漢方や健康食品にもお金をかけて徹底してやりました。でも、このまま取り続ける人生でいいのかと疑問を感じるようになって、次第に手放す方向に、お金のかからない方向になりました。

ぐうたらな自分を許す

むつう体操に出会ったおかげで、ワクチンや漢方をやめ、玄米菜食も本格的に勉強しました。手放したいものがはっきりするんですね。ぐうたらな自分を許す。でも思い立ったらすぐに行動する。そんな行動パターンを心掛けて、今までとは違う生き方をするようになりました。

ガンになっていいまわりに

仕事をやめて、食事も睡眠も暮らし方も、生活全部を改善していきました。 その結果、顔色もよくなったし、だるくならない。腹が立たない。疲れたらすぐ動けなくなるいい体になりました。もう強制終了です。
家の中も私自身もキレイになりましたよ。(笑)
ガンにならなかったら、もうこの世にはいないと思います。ガンになって、本当によいまわりになってきました。

▲上に戻る

「ガンが治る」というものなら、ありとあらゆるものを取り寄せました。特に妻は、これなら必ず治せると思った事に対しては、周りの批判も受け付けず、とことんやりぬいてくれました。

これで治るんだ!

私のガンが治ったのは、家族のおかげと言ってもいいと思います。特に、心血を注いで看護してくれた、妻の深い愛情があってこそですね。子供のことよりも私の方に常時目を向けて、細かく注意を払ってくれました。
入院中も、玄米菜食弁当と濃く煎じたスギナ茶を一日も欠かさず届けてくれましてね。これはいいと思った食材は、調理方法を色々変えたり、食欲をそそるように器や盛りつけにも工夫してくれて、それはもう、徹底的に食べさせられました。「これで治るんだ!」と、祈るような気持ちでしたね。

ガンが消えた

自分で一生懸命やったのは、「治る」と自己暗示をかけること。そして、ストレスをつくらないことです。 
心身共に健康な状態に戻すために、完全治癒に関する書物を繰り返し読んで、自己啓発に努めました。
こうして40日あまりを過ごして、膀胱全摘手術を受けました。ところが術後の細胞検査では、どこにもガンの病巣が見つからなかったんです。カリフラワーみたいにあったのが。

治すことだけに専念

病気になるまでは町工場を経営していて、納期に追われる毎日でした。土日もなく、深夜まで身体を酷使してきたので、心身共に油の切れた機械のようでした。
それほど大切にしてきた工場も、ガンがわかって閉鎖しました。命がかかってるんだから、迷ってるヒマなんかなかった。健康になればまた働けるんだから、治すことだけに専念しました。

いつも二人で

無理をせず、ゆったりとした気持ちで毎日がすごせるのは、本当にありがたいことです。相手の気持ち、特に親切心がよくわかるようにもなりました。
ガンになるまではバラバラだった夫婦の時間も、今はたっぷりあります。何をするのも二人一緒。新婚さんにも驚かれるくらいのバラ色の日々です。

▲上に戻る

甲田先生は、病の原因は4つあると言われますが、私の場合は、疲れとストレス、食生活の積み重ねの3点でした。
とにかく、西式甲田健康法のみでやってきました。「先生のおっしゃる通り」を第一番に心がけて、よそ見をしなかったこと、こうと決めたらフラフラしなかった事が、一番良かったように感じています。
3年後のエコーなどの検査では、ガンは全く認められず、昨年暮れには甲田先生からも全快との事。もう昔の体質では全くありません。

最初は、「病気に感謝するようになります」なんて、不思議なことを言う先生だと思いましたが、今ではこの意味が本当にわかるようになりました。
よくぞガンになってくれた、というのが正直な気持ち。「身体治しは心治し」を心に刻みつけています。

現在、甲田医院で治療中の方の団体「がんと仲良くする会」の世話人をしています。
甲田先生のメッセンジャーおばさん、甲田医院の励まし係として、ここ熊野の地から百歳までの健康作りを目指して活動中です。

私の生きている姿を見てほしい。生命力をつけることで、誰でも元気になり、世の為人の為に生きることができると分かれば、どれだけ多くの方が勇気づけられるでしょう。
そうそう、実物は写真よりずっといいことを御承知置きくださいね(笑)。こんなことを言えるようになったのも、ガンの福作用だと喜んでいます。

▲上に戻る














第1回世界一元気ガンの患者学ワールドのビデオ

Copyright(C) ガンの患者学研究所 All Rights Reserved.