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●あの人は治った。だから私もきっと治る。
「どうすればいいのでしょうか。治りたいとばかり思っているのに、一方で、やっぱり治らないかもしれないと思う私がいるのです」
Mさんから、ある夜、こんな電話があった。治った人の体験談に感動しても、だからといって、自分もそうなるとは、どうしても思えないというのである。
「あの人は特別、私なんかには真似ができない」
しょせん、自分には無関係と思ってしまうらしい。困ったことに、こうした気持ちは、程度の差こそあれ、たいていの人の心に潜んでいる。
あなたにもそんな気持ちはないだろうか。もし少しでもそんな思いに揺れているなら、自分に向かって繰り返し、次のように宣言しよう。
「あの人は治った。だから私もきっと治る」
●言い訳のオンパレード。
「十年後の感謝状の」筆者・寺川維着子さんは、余命一年の宣告を跳ねとばして生還した。この話に、心揺すぶれられない人はいないだろう。
が、問題は、ここから先。あなたは次のように、心につぶやいていないだろうか。
「あの人は、運が良かったから治ったんだ」
「あの人は、私より若くて体力もあった。それにもともと丈夫だったのかもしれない」
「あの人は、私ほど進行していなかったから」
「あの人は、治療に専念できるだけの十分な時間とお金があったから」
「あの人は、家族の献身的な応援が得られたから」
さまざまに自分との比較を始め、なんとか自分の方が不利だと思える条件を見付けだそうとする。すると不思議なことに、実にやすやすと、都合のいい発見が続くではないか。そして、安心する。
●特別な人なんかいない!
そうだ・・・!
“あの人は、特別なのだ。私はごく普通。だから、私は駄目。私はあの人のようには頑張れない。あそこまで、とても真似できない”
が、問題の核心はここにある。
「あの人は特別、私は駄目・・・」
確かに、こう言っておけば、何の努力もしなくて済む。
普段どんなに無口な人も、言い訳となると、別人のように雄弁ぶりを発揮するから驚きだ。でも、本当にそれでいいのだろうか。便利なそんな言い訳ばかり繰り返していると、いつしか、夜道にのびた影のように、長い鎌首をもたげてくるものがある。無力感という魔物だ。
“あの人は治ったけど、私は治らないかもしれない・・・”
もしあなたが、こんな思考パターンを身につけてしまっているなら、今すぐ、次のように改めたほうがいいだろう。
“あの人が治ったのなら、私だって、必ず治る。治してみせる”
無条件に、そう思うことである。どこにも特別な人などいないのだ。例え今現在、あなたがどんなに重症で、医者から悲観的なデータばかり聞かされているにしても、いや、それならなおのこと、次のように心に刻みつけてほしい。
あの人は治った。だから、私も必ず治る。
誰かの身の上に起こった素晴らしい出来事は、それを真剣に望み行動するなら、どんな人のうえにも起こる可能性がある。私は固く、そう信じている。そして、そのような実例をたくさん知っている。
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