naottasan4泉 建治さん

 1952年生まれ

 2002年膀胱ガンⅤ期 大腸ガン転移 

 主な標準治療…なし

  (人工膀胱、人工肛門になる手術、抗ガン剤、放射線を断る)

 主な自助療法…玄米菜食、ウォーキング。朝日に向かって感謝。

        ストレスを受けない考え方をするなど。

 

ガンが分かったとき

 

 血尿が出るようになり、トイレに行くと血の小さい赤い点・点があり、少し下腹に痛みがでてきました。

 民間の泌尿器科の個人病院に行き、抗生剤をいただいて飲むと、痛みも和らぎ、血尿も治まりました。 いちおう検査だけしておきましょうということになり、その二週間後、先生からいきなり「泉さんガンです、クラスⅤ。膀胱ガンⅤ期で余命1年~2年です」と告げられました。

  大学病院へ紹介され、入院を待つ間に血尿、痛み、発熱に再び襲われ緊急入院。それから検査~検査の日々・・・。そのとき私は49歳。若くて進行が早いからと、手術の予定をすぐに入れてくれましたが、手術すれば、人工膀胱、人工肛門になると説明されました。

 実は私がガンになる前の4年間で、身内の(叔父・母・妻義兄・叔母)4人が毎年ガンで亡くなっていて、5人目は私がガンとなり、絶対止める、絶対治るんだという思いでいました。病院の治療をつぶさに見てきた看護師の家内と二人で病院以外の治療法を必死に探しました。

 

ガン患研との出会い

 

 50歳の誕生日の直前、家内が図書館で川竹代表の『幸せがガンがくれた』を見つけ、私に勧めてくれました。その本で初めてガンが自然退縮することを知り、自分も手術をしない方法を選ぼうと決心し、病院の治療をすべて断りました。

 2002年6月・仙台支部結成の時、川竹代表がリュック姿で会場へ。その時の事は忘れません。ずばり!ガンが治るという△(三角)の氷山の図でのリアルで分かりやすい講演でした。自分に心あたりが、いくつもありました。その時に「10万人に一人治る人がいる」その言葉をいまでも、信じ、大切に、心に入れています。

 

こうして私はガンを治しました

 

 10万人に一人が治るということは、ゼロではない。可能性があるということ。自分はその十万人の一人になるのだ、絶対治るのだと決断し、手術をしない方法を選んだ私は、まず、玄米菜食を始めました。そして、毎朝5:30~6:00には、朝日に感謝し40分の階段ウオーキングと腕立て30回をやり続けて13年になります。身体は、すっきりとやせ、弱った筋肉が再びよみがえり、自信ができました。心は、チャレンジ→完成→反省を心がけ、つねに目標を創り、楽しく目標に近づけるように我慢と喜びを継続するようにしました。

また、会社での人間関係や家庭生活での金銭・仕事のバランス、思いやりと感謝の表現・伝え方の不足を改める努力をしました。

  

心も身体もガンになる前よりずっと元気

 

2003年3月、会社の健康診断で、まったく異状なし。1年2カ月で、ガンが自然退縮していたのが判明しました。

あれから十数年たった今は、体重はガンになる前の73kg⇒58kg、すこぶる快調。会社を定年退職後、若いころからの夢だった、ツアーの添乗員をしています。仕事はハードですけれど、お客様の感謝の言葉で疲れを リセツト、たまにはリセツトに時間がかかる時があります・・「ま~いいか」妻と日帰り温泉へGo~

 仕事が楽しいと思える時、家族が希望の道へと進んでいるのを見た時、幸せを感じます。

 ガンの不安と迷いを戒めてくれたのが『 意思継続 』という言葉。この自分の言葉から、夢のひとつひとつが実現してきました。

 

これから治す方たちへ

 

 人は、つねに情熱を心にいだき、それを辛抱 強く『 意思継続 』へ。そして、考えすぎないこと。「ま~いいか」と自分を追い込まないこと。

 

naottasan3*中嶋左英美さん

1959年生まれ

2005年12月 右肺腺ガンⅠA期 

主な標準治療…手術のみ

自助療法…玄米菜食/ビワ葉温灸、半身浴、散歩などで身体を徹底的に温める 

 

 

 

 

 

 

 

ガンが分かったとき

 

 自覚症状はなく、毎年受けている市民健診で見つかり、肺腺ガンと診断されました。以前から「ガン=死」と思い込んでいましたから、出口のない暗闇に突き落とされて、もがいてもがいてうつ状態になりました。今思うと、身体は元気に生きたがっているのに、心は死んでいたのです。

 

 

ガン患研との出会い

 

 入院した病院の看護師さんに、「手術も抗ガン剤もせずにガンを治している人がいる」と聞いて、一筋の明かりを見つけた気がしました。その話を手がかりに、自分ではインターネットができないので息子に調べてもらい、ガン患研のホームページに出会いました。そこには、「ガンは治る」と書いてありました。

 主人や子供は、最初、いかがわしい集団かもしれないから「やめとけ!」って言いましたが、私は「これが、これからの私の生きる道! 私が今までずーっと探し求めていた生き方だ」と思いました。何がどうというより、全てのことが…!! 抗ガン剤は死んでもイヤと思っていましたし、直感としか言いようがありません。

 

こうして私はガンを治しました

 

 主人の親と同居していたので、私がガンになったのは、そのストレスのせいだと思っていましたが、そうではなく、自分の考え方の間違いだったと思います。一つの出来事も、解釈のし方で良くも悪くもなることを実感しています。

 以前は人に頼り切った生活をしていましたが、ガンは自分で治せる、イヤ、自分でないと治せないことを知り、実践してきて、自分の生き方にかなり自信が持てるようになりました。

 最近、知り合いのおじいちゃんに、「あんた、だんだん若くなるなぁ〜」って言われました。風邪もあまりひかないし、快便で身体の調子が良い。肌のくすみがなくなり、潤いもあります。体温も37、6度ぐらいを保っています。

 朝のウォーキングや採りたての、まだ生きている人参を丸ごとジュースにしていただくときが至福のひととき。 毎日、元気に暮らせている。毎日、主人の育てる元気な玄米と野菜をいただける。毎日、子供や孫と一緒に明るく楽しく笑って暮らせる。もう、これだけで充分幸せ。私は世界一幸せ。私が元気に暮らすことが、家族への恩返し。ガンになったおかげで幸せに暮らせていると、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

これから治す方たちへ

 

 まずは信じること。そして、始めること。一歩一歩前へ…。心から求めれば、必ず得られます。

「ガンは汲めどもつきぬ、宝の泉」という川竹代表の言葉がありますが、本当ですね。ガンになってから次々と幸せなことが舞い込んできます。

 

SANYO DIGITAL CAMERA  冨岡吉晴さん

 1949年生まれ

 2008年4月 胃ガン Ⅲ期のc 

 主な標準治療…手術のみ

 主な自助療法…玄米菜食、ウォーキング、生活習慣の改善

      /半身浴/ビワ葉温灸など

 

 

 

ガンが分かったとき

 

 ガンが分かる前年の秋口から胃が重く違和感があったので、翌年の4月の会社の検診で初めてバリウムを飲み、その結果、ガンが見つかりました。そのころは、会社でのプロジェクトチームの一員としての仕事が終わったばかりで、疲労の極限でした。身体のセンサーが壊れていて、無理しても、何とか乗り越えてこられたのだと思います。入院時には、これで休めると、ホッとしたことを覚えています。 

 私の父親は胃ガンで亡くなったのですが、自分は、牛乳をたくさん飲んで、栄養のあるといわれる肉中心の食事をしてきたので、絶対にガンにならないと信じていました。今から思うとガンになる生活をせっせと続けてきたわけですが。手術前に初期ガンと告げられても、なぜ自分がガンに? という疑問はあったものの、「切れば終わり」と、ショックはあまりありませんでした。

 手術後の病理検査では、リンパ節に8カ所転移していて、初期ではなく第Ⅲ期、5年後の生存率は50%ということでした。確かに大ショックではありましたが、メンタルブロックをしたのか、他人事であるかのように深く考えないようにし、5年生きられるのか、とも思ったり…。むしろ、胃の4分の3を切った手術によって体重が80KGから65KGまで落ち、病院での歩行訓練では10Mも満足に歩けない自分に驚きました。

 退院してから、ガンで亡くなった人の本などを読んで恐怖に震えたのを記憶しています。手術前のサラリーマンの生活と手術後のガン患者としての生活とのあまりの落差に、戸惑うばかりでした。一番つらい冬の時代でしたね。

 

ガン患研との出会い

 

 家内の姉が三大療法をたっぷり受けて亡くなったので抗ガン剤はやりたくなかったけれど、ではどうしたらいいかというとまったく分からない。退院してインターネットで他の療法を探していて、ガン患研を偶然見つけました。「ガンは治る、たとえ末期でも」…。ガン患研のホームページにそう書かれていました。うれしかったのは、「ガンは退院してからが勝負」という言葉。まさに自分の立ち位置に、ぴったり一致しました。たまたま、キャンセルが一つあって(その人に感謝します)、退院後1ケ月で、フラフラしながらガン患研の入門合宿セミナーに参加しました。

 傷口もひりつき、心細く、会場のホテルの前の公園のハトを見て、あ、生きてる、なんて思いながら…。

 セミナーにはガン仲間がいっぱいいて、心強かったし、チームリーダーも末期から生還した人で、信頼できました。病院では進行ガンは「かごから出ていった鳥」といわれていますから、まさにガン患研はいのちの綱でした。

 

こうして私はガンを治しました

 

 ガン患研の合宿セミナーの、初日の休憩時間に、川竹代表がなにげなくつぶやいた一言…「今日来た人の中で治る人、治らない人が分かる」。私はそれを聞いて、よし、「治る人になろう」と決意しました。「絶対に生きてやる」と心に誓うことが、生死を分けると思います。

 退院後、ウォーキングを一日おきぐらいに体調に合わせ5KM~10KMやりました。6月末に退院でしたから、夏場には汗をびっしょりかきました。同時に玄米採食をしていましたから、このとき身体の毒素が流れ出たと思っています。これを半年くらい続けたとき、日課としていたウォーキングから帰って昼寝をしたあと、冷えきっていた身体がポカポカ温かく、身体が喜んでいるのが分かったのです。身体から、治るよと信号が発せられたことを感じました。

 心の面では、恐怖感がありましたが、ひたすらガン患研の治ったさんの記事を読みました。たまに図書館で借りた本には、うまくいかない人の話がありましたが、反面教師にして、「笑って前に」を心がけました。

  

心も身体もガンになる前よりずっと元気

 

 ガン患研の言うガンの原因…ライフスタイルの乱れ(プロジェクトチームでの激務)、食の乱れ(野菜の少ない西洋食)、仕事のストレスがすべて、ぴったり私に当てはまり、これらを積極的に取り除けばいいことを知りました。

 今は心も身体も軽くなって、穏やかで素直な気持ちになり、壊れていた身体のセンサーも回復して疲れた時は休みなさいと教えてくれます。

 退院後の翌年に見たサクラがこんなにきれいだったのかと、感動したのを覚えています。心身とも健康になって身近に幸せがあることを実感しました。今は毎日、近所の仲間と卓球をして、たまに花見、温泉などに行って充実しています。

 

これから治す方たちへ

 

 自分で治すと決意し、自分を変え、玄米採食などを凡事徹底することにより、ガンは去っていきました。

 私は手術以外の抗ガン剤等の西洋医学は一切受けませんでした。5年後の生存率は50%と言われましたが、6年になります。ガンによって、自分も鍛えられ、ガンになる前と今の自分とは、別人になったようです。2度の人生を経験させてくれているガン体験は、非常に貴重な体験でした。

 

▲ページのTOPへ